終戦直後昭和21年11月9日、未だ混乱と焦土の東京・築地本願寺において、1616名(内特攻448名)と最も多くの戦死者を出した十三期の復員同期生たちは、米軍MPに取り囲まれた中で第一回慰霊法要を行いました。本堂には、学業半ばにして大空に散華した愛息への悲憤と、友への申しわけない慟哭が溢れ、「同期の桜」の斉唱が結実して、やがて海軍飛行科予備学生・生徒各期の戦没者2485名の慰霊と遺族慰問のため、遺族と生存同期生が結束し、昭和27年3月社団法人白鴎遺族会が設立されました。

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白鴎遺族会の想いを後世の人々に伝える文書として、
「白鴎通信」がございます。
「白鴎通信」は、白鴎遺族会の連絡紙として全国の会員の親交と、御霊を偲ぶ心の絆を綴ったものであります。そもそも会報の発行は、「第十三期遺族会会報」創刊号で遺族世話人代表が望まれた趣旨の通り、春秋慰霊祭のご通知を兼ね現在まで一貫して続けられ、最多時には5800部を発行しておりました。
発送作業は全部世話人の手によって行われました。「白鴎通信」1号、2号を読み返しますと、当時、愛息を失った父母上はまだ壮年でした。悲嘆に耐えながら産業復興の責任ある立場におられました。また、復員同期生の方々が、友の鎮魂を祈って戦没状況の調査と名簿の整備に努められた結果、やがて各地方で慰霊祭が行われるようになりました。
平成12年4月8日時点で慰霊祭は百回を迎えました。

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