① 生年月日 昭和42年9月19日
② 出身地 京都府
③ 最終学歴 京都大学大学院 公共政策研究科(京都大学修士)
④ 事務局 所在地 京都市左京区川端御池上ル東側孫橋町23番地
SAMURAIビル2階内
⑤ 職歴
三井住友トラスト不動産株式会社に宅建士として勤務の後、
税理士事務所に勤務しながら税理士資格を取得
⑥ 現職業 税理士
国民の三大義務の一つであります国民の「納税」を支援する仕事を
しております。
⑦ 関西白鴎遺族会現在の活動
関西白鴎遺族会は大東亜戦争で散華された海軍飛行科予備学生・生徒出身戦没者とご遺族の援護・慰問のために、生き残られた同期生たちが終戦直後に結成した団体です。令和元年5月19日に第69回関西白鴎遺族会慰霊祭を執り行います。
終戦直後の昭和21年に第一回目の慰霊祭を米国進駐軍に取り囲まれながら敢行することが出来たものの、その後は、毎年開催の米国進駐軍許可が下りなかった為に、戦後74年目との間に差が生じております。この5回の差に生き残られた同期生の方々の篤い慰霊と顕彰への想いを感じずには入れません。
たとえ米国進駐軍の許可が下りなくても、下りるまで許可を願い出られた姿が彷彿されるからです。
あの戦いの日々、「では一足お先に」と飛び立っていくものと、「では直ぐにあとから」と、次の順番を待って見送るものとの、さりげない別れに明け暮れました。
戦いが終わったとき、間一髪の差で生き残られた同期生たちは、還らぬ仲間たちに対して、「申し訳ない」との思いの中で、二つのことを誓い合いました。
その一つは、亡き友らが最大の、そして最後まで気がかりであったに違いない家族たち~最愛の肉親を失われたその遺族たちを最後まで見守り続けなければならないという誓い。そしてもう一つは、自らの青春の一切を投げうって、祖国の急に馳せ参じ、雲流るる果てに散って行った仲間たちの死を、絶対に無駄にはさせない~かってあの戦いの日々に、あのような若者たちがいたという歴史の事実と追憶を、永く後世の歴史に刻み残し、語り伝えていかなければならないという誓いでした。
関西白鴎遺族会は今後も、この二つの誓いを守り抜き、英霊たちの慰霊と顕彰に努めてまいります。生存者の方々が守ってこられた、この二つの誓いを第100回関西白鴎遺族会慰霊祭まで守り抜きたいと思います。それが、私の受け取ったバトンの重みだと思います。
平成31年4月3日現在