拝啓
初夏の風がきもちいい季節になりました。皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
先般、第67回関西白鷗遺族会慰霊祭におきましては、お忙しい中、たくさんの方々にご参加賜りました。生存者の方々も齢94歳を超えられ、遺族とすれば、終戦直後から72年間第67回にわたりこの慰霊祭を続けていただいたことに、本当に感謝申し上げます。
慰霊祭当日は、ご参加の方々の英霊を慕う気持ちが通じまして、雲一つない晴天に恵まれました。
午前10時30分の軍艦旗掲揚から、本殿祭、碑前祭へと学徒出身戦没海軍飛行予備士官の英霊と遺族、そして生存者の方々、また、一般ご参加の皆様が英霊の御霊に包まれたような時間を過ごすことが出来ました。
関西白鷗遺族会は大東亜戦争で散華した海軍飛行予備学生・学徒出身戦没者の慰霊とご遺族の援護・慰問のために、生き残った同期生たちが終戦直後に結成した団体です。あの戦いの日々、「では一足お先に」と飛び立っていくものと、「では直ぐにあとから」と、次の順番を待って見送るものとの、さりげない別れに明け暮れました。戦いが終わったとき、間一髪の差で生き残った同期生たちは、還らぬ仲間たちに対して、「申し訳ない」との思いの中で、二つのことを誓い合いました。
その一つは、亡き友らの最大の、そして最後まで気がかりであったにちがいない家族たち ~最愛の肉親を失われたその遺族たちを最後まで見守り続けなければならないという誓い。ししてもう一つは、自らの青春の一切をなげうって、祖国に急に馳せ参じ、雲流るる果てに散って行った仲間たちの死を、絶対にむだにはさせない ~かつてあの戦いの日々に、あのような若者たちがいたという歴史の事実と追憶を、永く後世の歴史に刻み残し、語り伝えなければならないとういう誓いでした。
関西白鷗遺族会は今後も、この二つの誓いを守り抜き、英霊たちの慰霊と顕彰に努めてまいります。生存者の方々が守ってこられた、この二つの誓いを第100回まで守り抜きたいと思います。それが、私の承ったバトンの重みだと思います。
敬具
関西白鷗遺族会 会長 山田正克